ハンコ文化と日本人・印鑑まめ知識

印鑑の歴史

 押印するという行為、これは古代文明にまでさかのぼって発見する事ができます。メソポタミア文明の時代、粘土板に押印したのがその始まりとされています。それがやがて世界中にひろまり、日本にも伝わったのです。ヨーロッパでももちろんその習慣は伝わったものの、根付くことはなく廃れ、今印鑑文化が残っているのはごく一部の国だけになっています。日本で最も古い印鑑といわれているのは、「漢委奴国王印」です。この金印が発見されたのは江戸時代の事で、田んぼの中なら偶然見つかったものだと記録されています。中国の後漢書にその存在が記されていますから、古事記の時代に中国から伝わったものという事になります。 もちろん当時は一般の人が使うようなものではなく、ごく一部の支配階級の習慣に過ぎませんでした。印鑑が個人を照合するためのものとして広まったのは、かなり後の時代です。
 まず、戦国時代には、署名代わりに花押を使う習慣が広まりました。もともとは極端にデザイン化されたサインのようなもので、個人を照明するためのものです。これは署名の代わりですから、この時代には日付の下に書かれたものが一般的です。伊達政宗は、名前に由来しないセキレイ(鳥類に分類の一種)の花押を用いていました。政宗は、自分に不利な私文書が発見されたさい、その花押に針の穴が開いていないから自分の書ではないと、それまで秀吉に送った文書の花押と比較し、疑いを晴らしたといます。もちろん真偽はわかりませんが、花押が重要視されていたことはわかります。
 この花押が、自分で書くのではなく、判で作られるようになり、江戸時代には署名と合わせて、この判を押すようになります。現在の印鑑に近い形はすでに江戸時代に作られていた事になります。ただ、江戸時代の印鑑は商いの取引に用いられる事が一般的で、庶民に広まったのは明治時代に印鑑登録が始まってからになります。